2009年10月21日水曜日

「三つ子の魂百まで」という言葉について

「三つ子の魂百まで」という言葉について。

「三つ子の魂百まで」という言葉がありますけれど・・・なかなか奥が深いというか、真実をついたというか、いろいろな解釈があるように思える驚くべきことわざですね。(「三つ子の魂百まで」って、諺かな?)

「三つ子の魂百まで」3歳までの教育は極めて大切なものであり、その教えは100歳までも影響す。というところが三つ子の魂百までの一般的な解釈でしょうか。
三つ子の魂百まで 昔からある言葉ですから、かつて日本中の家庭ではその大切な教育が行なわれていた、という見方をすると、三つ子の魂百までということで、3歳までに何を学ぶか、「教育」という視点から言及すると三つ子の魂百までとはこういった解釈になるのでしょね。

確かに、もともと「三つ子の魂百まで」という意味の捉え方には、様々な見方があって、ことわざ辞典などには「三つ子の魂百まで・幼い時に身につけた性格は、死ぬまで続く」と言う内容が書いてあるものもあります。それが元になって、三つ子の魂百までだからと「3歳までに大切なことを身につけさせねばならない」と、一種の恐怖観念にとらわれてしまって、三つ子の魂百まで、3歳までにやれしつけをしなくては、3歳までにいい性格にしなければ、やれ3歳までに……と、しつけや教育にやっきになっている人の原動力になっているのも多いはず。それはそれで理解できます。

ただ、別の見方をすれば・・・3歳までの子どもの脳の発達には著しい物があることは子育てを経験された方であれば身をもって体験していることでしょう、この時期に、周囲からの愛情に包まれ、安心できる環境の中で育てられることは、とても大切なことです。3歳までにいちばん大切なことは、「三つ子の魂百までだから」と、無理強いをするのではないということ。「三つ子の魂百までだから」と叩いたり、恐怖で子どもをコントロールするようであれば、今話題の「虐待」にもつながることになりかねません。そういえば「虐待」する親の言い訳は「しつけとして」って言う名目が多いのも心当たりがありませんか。

子どもに安心感を与えてあげて、自分はこの世の中に生まれてきてよかったんだ、周りは自分を大切にしてくれるんだ、という、基本的な信頼感を育んであげること。

つまり、3歳までに、しつけ、言ってみればルールや、相手への思いやりなどといった観念的なことを十分に理解させることは、まだまだ無理が多い。と言えるのではないでしょうか。

ただ、3歳までにできることは、基本的な生活習慣を身につけさせること、これは親が毎日の生活のリズムの中で当たり前にやっていけば自然と身に付くこと身に着けさせられること、なのではないのかなという気がします。

三つ子の魂百まで……問題は「教育」や「しつけ」ではない  私はそう思います。